2013年6月11日火曜日

アラバールの小旅行(榊)


うちの本棚に1970年代に買ったアラバール戯曲集全3巻があります。何故、うちの本棚にアラバールがあるかというと、その当時「ドストエフスキーという名の亀」を上演したことがあるからです。この時代はベケット、イヨネスコや別役実先生などの不条理劇が盛んだったのです。そういえば「マッチ売りの少女」や「黄色の日曜日」も上演したな。

で、今そのアラバールの第1巻が本棚から消えています。湘南電車に乗って平塚だか藤沢に小旅行に出かけています。湘南のどこかと言うとこの作家ユニットの椎野明子さんのところです。「戦場のピクニック」を読みたかったそうです。不条理劇がとっても好きなんだそうです。本人が言ってました。第2巻と第3巻もまもなく小旅行に出掛けると思います。椎野さんがアラバールおもしろーいからもっと読みたーいと言っているからです。

本が東京から湘南へ空間を移動しているだけでなく時間を移動しているように感じられます。だって、1970年代のアラバール訪日記念と帯にある本が1986年生まれと作家紹介にある椎野さんのところへ移動しているのですから。

そのうち去年の第1回公演でキーボードを弾いてくれたウィーンを拠点にしている作曲家・指揮者の森本恭正くんから30年ぶりに戻ってきたアントナン・アルトーの『演劇とその形而上学』も椎野さんのところに小旅行に行くのかな。

椎野さんってこんな感じの作家さんです。6L工場の作家さんを1人紹介してみました。

榊 俊作

2013年6月10日月曜日

ジャックポット(う。)

人生山あり谷あり。
捨てる神あれば拾う神あり。
七転び八起き。
コイン入れればジャックポット。
んなこと。
実際にあったりするから面白い。

あ、だからって、
おいらが、そうだ、ってわけではありません。
あしからず。

2013年6月9日日曜日

6月9日 (吉)

6月9日(日)


きのうの文脈からすると、きょうはニシイケ氏なのかな、という気がしなくもないけれど、
かといって、そういうボクの読み方が「あっている」かもわからず仕舞いなので、以下。


このところの東京の空は、というか日中の青空は、
Mr.Childrenのアトミックハートというアルバムのメロディが似合う気がしてます。
ラジオ局でオンエア曲をセレクトできるなら、アタマからケツまで流してみたいです。
カーラジオから、電車の車窓にながれる景色を眺めながら、道々を歩きながら、
トゥ、ルルル。クゥルクル。お、ダンス、ダンス、ダンス。

さて。そうとはいえ、かくいう自分は、
だからといってアトミックハートを聞いて過ごしているわけでもなく、
アトミックハートにものすごい熱を思春期に抱いたってわけでもなく、
ただただ、たんに岡目八目的な我がアトミックハート感想を基にして、クチにしたまでで。
きのうの、わーくしょっぷへと向かう道すがら、思ったまでで。。。

スカッとした青空だから、つい、元気よくいつもより大きな歩幅で歩きたくなる。
そうと思ったとしても、
そんな歩きかたはゼッタイやらないし、実際やりそうにない。
と、いうのが、ミスターマイセルフ、というヤツのようです。

そして、このマイセルフはいま、顔色がわるいようです、どうも。
みごとな蒼白のようです。まるで血の気がないようです。
鏡のまえの自分の眼には、しかし蒼白そうには映じられていません、すくなからず。
なので、驚いています。
きのうの6L工場のイシダさんパシャリ☆カメラでは、すべて顔面蒼白なのです。
きのうの誰彼にも、蒼白に見えていたのでしょうか。(だれもなにも指摘してこなかったけれど)
もしや、そんな顔色は、いつものこと、という馴染みップリなのかしらん。

あんな具合の悪い顔をしているダなんて……
はずかしいものですね。
なにか悪霊が取り付いているんじゃないか。ムリヤリ思ってみる。


と、上述のところまでで、ブログにアップしようと思ったのだけれども、
せっかく、わーくしょっぷを行ったので、きのうに引き続き、この話題に触れておこうかと。
月を見て涙しちゃう、とかいわれる夜更けの時刻ですし。

シンプルにいえば、
書かれたものが、どんなふうに見えてくるか、が「わかる」機会だったと。
書かれてある言葉を各役者がどんなふうに想像力したかのわかる機会だったし、どれだけ役者が書かれている人物を「間主観的」に読めているのかもチラとわかるし、また、書いた側にとっては、自分のセリフがどんなふうに役者に伝わったか(読まれるのか)を知れるし、どれだけ自分ひとりの思い込み乃至は勘違いかを知れることにもなったかと思う。

そして役者と書き手の両者とも、きのうの「気がつき」をどういうふうに修正あるいは反省したのか、それも今週末からはじまる各自稽古のときに、また知れることにもなってゆける機会だったと。


今週末から、各自の稽古がはじまります。
ヒトはおなじモノを見ても、別様に見てしまうものですが、
自分の眼に映っている台本と、他人に映じられた台本は、でも、おなじモノになってゆきます。めいびー。


体調半不調のヨシダー


2013年6月8日土曜日

第6回WSを行いました(石田)

本日(6/8)開催の第6回6L工場ワークショップ(WS)の模様をお伝えします。

今回のWSは第二回公演に向けた、最後のWSです。
おなじみの体を使ったゲームとエチュードのあと、現時点で上がっている台本のリーディングを行いました。
今回は出演される役者さんが全員揃いましたので、リーディング風景と一緒に役者さんを紹介していきます。

 
まず、台本配布。(左から)壇上さん(後ろ姿)、水谷さん、斉藤さん、山田さん、右代谷(うしろや)さん。

 
ちょっと小休憩…と思いきや、 石田のカメラに気付いてピースサインをしている山岡さん(中央)。

 
左から、右代谷さん、加古さん、壇上さん。

 
左から、江田さん、宇原さん。

 
左から、江田さん、宇原さん、山田さん、石黒さん。

 
左から、壇上さん、石黒さん、山本さん。

 
 後列左から、山岡さん、白勢さん、右代谷さん。
 手前左から、斉藤さん、水谷さん。

左から、山田さん、石黒さん、山本さん。


左から、石黒さん、白勢さん、右代谷さん、山岡さん、江田さん、檀上さん。

左から、右代谷さん、白勢さん、水谷さん、江田さん。

左から、右代谷さん、加古さん、斉藤さん、宇原さん。


これまでは作家の机上の代物だった台本も、役者の肉体を通して生きた言葉として発せられると、受ける印象が字面だけのときとは全く違います。
今回のWSを通して、自分の本を客観的に見つめなおすことができました。

今後は、各作家による個別稽古へ移ってゆきます。
通し稽古までに各作品どんな変貌を遂げているのか、楽しみでもあり、ちょっと恐ろしくもあります。


次回は、ブログ当番をすっぽかした水曜日担当のニシイケ先生による、斜め上を行く反省文をお届けします。
ニシイケ先生の次回作にご期待ください!


せきでんどうし

2013年6月7日金曜日

激辛のはなし(椎野)

こんばんは。
さっき知人が「明日は蒲田のうまいカレー屋にいく」といっていたので、無性にカレーが気になってしまいました。

カレー!
かれー!
CURRY!

わたくし、カレー大好きです。三食カレーでも大丈夫。

上野にある「デリー」はよく行くカレー屋です。デリーにはカシミールカレーという有名な激辛カレーがありますが、あれを食べたときの衝撃といったら。ひとくち。OK。ふたくち。まだOK。みくち・・・徐々にあやしくなり、「ん??」と気付いたときには汗だく。「あれ?」と思った頃には精神がスパーク!(いろいろなスパイスから醸し出されたカレーの辛味というのは、意識が上向きスクリューになるというか、謎の浮遊感があります。)しかしながら他に類をみない複雑な辛味のせいで、「これって罰ゲーム?」と思いながらも毎回オーダーしてしまうという不思議なカレーです。辛いもの好きであれば一度はお試しいただきたい。

しかしながらカシミールカレーをひとりで平らげるのは至難の業ですので、2人くらいで行って、ひとりがカシミール、もうひとりがコルマカレー(中辛。しかしここでしか食べれられない味!)とか、バターチキンといった甘口系を頼む、というのがよいでしょう。半分ずつ楽しめます。追加でなすのピクルスをつけるとなお良し!!

ちなみに前述のコルマカレーですが・・・私は一番好きです。カシミールを推しといてアレなのですが。辛いもの好きなのにすぐ腹をこわすので、コルマがちょうどよいのです。
といっても、決してカシミールにひけをとってはいませんよ。カレーは辛さだけではありません。コルマの「これ何の味なの?」感はカシミールを凌駕しているといっても過言ではない。カシミールも十分謎の味ですが、さらさらとしているので、カレーというよりむしろ飲み物。しかも、徐々に「辛い」をとおりこして「痛い」にかわってゆくので、もはや「味」ではなく刺激そのものなのです。


デリーのカレーはスーパーやデパートでもうっているので、「行ったことあるぜ!」「遠くていけないぜ!」という方はおうちでお試しあれ。家で好きな具を入れて食べるとよいです。私はベンガルカレーというトマトベースのものを買って「家デリー」をしたことがあります。し・か・し、具を入れすぎ・煮詰めすぎて薄味になってしまったので注意してください。


・・・ということで(?)カレーに思いを馳せながら、カシミール級の刺激的なコントを皆様にお送りすることを胸に誓うのでした。「何?」「何なの?」「よくわかんないけど気になる」コントを!!


以上6Lカレー研究会の椎野がお届けしました。
次回は「どきどき!アフリカ激辛カレー」をレポート予定!


椎野


2013年6月4日火曜日

科白遊び(榊)

大学のクラスの同級生との会食。男3人と女1人。

年取ったら(もう十分取っていますがもう少し先の話として)海外で暮らしたいと1人が言い出した。タヒチがいいとかバリがいいとか皆口々に英語が通じる場所を挙げ始めた。でも女1が突然「少しの間だったらいいけどずっとは嫌だ。」と言い出した。何故と聞くと「英語が通じれば生活には困らないけど話した気がしない。」と。男1と男2は、『英語通じるし英語上手いのに、何を言ってるんだコイツは!』と心の中で呟いた様子。
 
3はおもむろに紙に短い科白を書いた。「いやだ、死にたくない。」と。
 
4人で紙を回しながら1人づつ読む。
 
1 いやだ、死にたくない。
1 いやだ、死にたくない。
2 いやだ、死にたくない。
3 いやだ、死にたくない。
 
科白は同じだが異なる。
 
1は、ヤクザに掴まりコンクリート詰めにされそうになったかのように叫ぶ。
1は、甘い声で男と話している。
2は、社員に向かって社長が訓示しているかのように喋る。
3は、雪山で遭難しそうになって小さく呟く。
 
そう、女1は英語では心のままに感情表現が出来なくて窒息してしまいそうと言いたかったのだ。母語の日本語なら何の不自由もなく感情を自然に表現できているのに。

科白を書きながら思う。言葉は文字ではなく感情を同時にはきだすものかもしれないと。英語を母語としない者が妖精パックの魔法をかけられて目覚めたときのライサンダーの科白”Not Hermia, but Helena I love.”を感情表現することができるのだろうか?

この公演の中で手掛かりが見つけられたらと思いつつ。

榊 俊作

こんばんは。(う)

なんだか、にんだか、ぬんだか。
作家会議なるもので、月曜担当になってしまいました。
続けて読んでる方はご存じでしょうが、というか、察してほしいのですが酔っています。
すみません。
「続きは来週!」と逃げたい気持ちに抗えません。
んなわけです。

おやすみなさい。

う。