2013年8月1日木曜日

「あのほらタクシードライバーでスポーツの役やってた奴」ハーヴェイ・カイテルの事を君はいつもそう呼んでいた(西池)

あっちゃー!!今日、火曜日だと思ってたけど水曜じゃーん!!
ブログの日じゃーん!!!そして既に木曜日でお馴染みの6L工場のお荷物こと(ガチで、マジで)にししいけです。嘘です、そんな人いません。西池です。

ブログの日っていうか、そもそも、「毎日オレが書きますよ!」発言したんですけど、そっからもう、一週間経ってます‥。なんて言うか、ごめんなさい、ですが、「謝るより行動でしめせ」って先輩から昔言われた言葉を思いだしました。なんの先輩かは思い出してません。

いやー、あんなの書こうとかは色々考えていたんですけどね。栄華楼山田インタビューとか、栄華楼山田密着24時とか、栄華楼山田に聞く50の質問とか、栄華楼山田袋閉じとか、ペーパクラフトで味わう栄華楼山田‥もういいか。とにかく実行になかなか移せないダメな所が出まくってます。大学時代に友人の花岡くんから言われた「キミちゃんは、いつでもヤルヤル詐欺だからな」という言葉を思い出しました。花岡くんのことは、いつも思い出してるよ。

さっそく罰が当たって足の親指の先端を蚊に刺されました。かゆいよー、かゆいよー。と言ってる、間にもう朝です。おはようにっぽん。つけっぱなしからの、あまちゃん観て、イノッチ出現で慌て出す、が、すっかり日常となっている西池家なのでした。
「にしいけ」とワープロで変換すると大体、「西井家」とでます。
なので、「にしいけけ」は西井家家かぁ~と、思いきや、「西池気」でした。
茶目っ気や、湿り気、化粧っ気のように「にしいっ気」というワードを流行らそうと思います。


さて今日は吉田くんのことを書こうと思います。


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吉田くんと僕は8歳違いで、出会ったばかりの頃、僕は彼の事を「吉田さん」と呼んでいた。
この6L工場を始めるときに、なんとなく勘で呼び方を「吉田くん」に変えたのだけれど、そのことは、僕が6L工場に対して貢献することのできた数少ない事例のひとつだと思っている。

8歳違うということは、彼が20歳のとき僕はまだ12歳だったわけで(それは西暦2000年のことで、今ちょっと考えたみたけど、そのころ世間がどんな感じで自分が何やってたか全く思い出せなくて動揺してます。99年も01年もハッキリ思い出せるのに‥なぜ?トラウマ的な?何となく、アパートの壁にゴムボールぶつけて遊んでたのと飼育委員だったことだけは思い出した)このちょっとした世代のギャップは通常なら会話に困っちゃうレヴェルだが、幸い僕と吉田くんには共通している所があった。

2人とも映画が好きで、大学で映画の勉強をしていた。

それが判明したおかげで、飲み会で席が近くなると僕はよく吉田くんに話しかけるようになり、鈴木清順の話や深作欣二の話や今村昌平の話やヘルツォークの話やカサヴェテスの話で大いに盛り上がった。しかし、その頃はまだ彼がいったいどんな映像を作るのか(それは今でも知らない)舞台を作るのか知らなかった。

はじめて吉田くんの作品に接触したのは6L工場が結成されたばかりのある日、メンバーが各々作品を持ち寄り互いを役者代わりに使って演出してみよう、とワークショップ的に集まった時のことだ。僕は、吉田くんの台本に役者として参加した。つまり吉田くんの演出を受けた。なんとも不思議な感じがした。舞台って感じはあまりせず、一言で言って刺激的だった。話の筋は忘れちゃったけど、なんだか、部屋の中で体育座りしてる(ずっと)役だった気がする。

吉田くんの作った舞台を観たことがある人、或いは吉田くんから演出されたことがあるなんて幸運な人は分かると思うが、彼の作品は奇妙かつ魅力的だ。しかし謎だ。
いったい彼の作品(そして彼自身)の魅力の秘密は何なのか気になっていた。
そしてなんとついに、昨日シャワーを浴びながらそのヒントを思いついたのだたた。

このことは、僕だけが知っている吉田くんの秘密なのか、皆知ってる吉田くんあるある、なのか分からないが、彼は実は元々「スポーツマン」だったらしい。

同じように大学時代、映画を観て、映画についてしゃべってまた映画を観て、違う映画観て同じ映画も観て、映画に関するレポート書いて、映画作って、蓮見重彦の本読んで…って感じの青春時代を送ったであろう僕と吉田くんだが、前提の部分はかなり違っていて、僕のボトムに99年のフジロックのミッシェルだったり、まだ新宿にあった頃のリキッドルームのソウルフラワーだったり、一時期、毎週のように通ってた渋さ知らズだったりって、要するにごちゃごちゃしたライブの記憶があるみたいに(多分)吉田くんのボトムにはスポーツマン時代のストイックな練習や試合の緊張感が今も流れてるんじゃないかと思う。本人の意志とはまた別のとこで。


つまり、結局何を言いたいかというと、『吉田くんの芝居=スポーツ説』これを提唱していこうと思う。



きっと、ある日の練習中に若き吉田くんは思ったことだろう。
(スポーツって楽しいけど、なんでルールがあるんだろう。試合前にルールを好きに決めていいルールにすればいいのに。22人の選手と、2人の監督と、4人の審判がそれぞれチームになって三つ巴でボールをぶつけ合うサッカー、なんて、やったら…ふふふ、最高じゃないか)と。
劇作家、吉田康一の誕生である。うーん。いい話だなぁ。


この記事が、後の吉田康一研究家たちのひとつの指針になれば、と願っている。


とにかく、そんな、吉田くんの「奇妙な味」を多くの方に知って欲しいので、皆さま是非劇場にお越しください。な、と、滑り込みの宣伝でした。

ではでは、行ってまいります。じぇじぇじぇ~(使い方間違った!)

西井家

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