2013年6月18日火曜日

コンピュータ演劇(榊)


先日音響山口紘さんのコンサートに行ってきました。

8曲の中に“フルートとコンピュータのための”というサブタイトルのついた曲がありました。プログラムノートによると「技術的なテーマはモーフィングによる音色の連続的な変化の実現である。音のモーフィングは、フルート音から声へと高度な演奏技術として演奏者が行うものと、コンピュータの信号処理による楽音から声への音色変化(オフライン処理)とある。」(プログラムノートから一部抜粋)とありました。モーフィングというのはCG映像でAさんの顔がグラデーションしながらBさんの顔に変わっていくようなものだと作曲者は解説していました。

コンピュータの世界では、1970年代のアラン・ケイの“ダイナブック”の設計思想と「Alto」を受け継いで2人のスティーブ(スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアク)が「アップル1」「リサ」「マッキントッシュ(Mac)」を世に送り出してきたのが今のパソコンの潮流の1つの流れです。

このコンピュータの歴史は偉大な業績として今日に引き継がれていることは間違いないのですが、正直に言うと音楽に疎いので前述の曲を聴きながらどこまでが演奏者の音でどこからがコンピュータが作り出した音なのか分からなくなってしまいました。コンピュータがさまざまな音色を作り出せるなら演奏者は不要になってしまうのではという不安を覚えてしまいました。

でも山口さんは言います。初演の記録(あるいは記憶つまり録音)をコンピュータ処理して現在の演奏者とアンサンブルさせると時間を超えられると。そうだな、“ダイナブック”に近いな。ケイはコンピュータが人の友達になってくれる未来を提唱していたもんな。

役者がいて観客がいて初めてそこに演劇的時間と空間が存在し演劇が成り立つと長らく疑わずに思ってきましたが、コンピュータがさらに進化したらアンドロイドの役者達が芝居をして観客がそれを観ている演劇が出現してくるのでしょうか(アンドロイドと役者による芝居は実験的に始まっていますが)。

このコンサートは異質な次元から演劇を考えさせられた一夜でした。

 
榊 俊作

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